デジタルデトックスの嘘 — 効率と静寂のあいだ
ハクア
イロハ
lifestyle 対話形式

デジタルデトックスの嘘 — 効率と静寂のあいだ

「スマホを置け」は本当に正しいのか。テクノロジー依存を憂うイロハと、情報断食を嗤うハクア。二人の対立は、やがて「効率と静寂は対立するのか」という問いに辿り着く。

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デジタルデトックスの嘘 — 効率と静寂のあいだ

「スマホを3日間触らなかった」。そう言う人は、だいたい4日目に2倍の時間をスマホに費やしている。

L-yard編集室で、ハクアがまたスマホを3台並べて作業している。イロハはその光景に、前から言いたかったことを口にすることにした。


スクリーンタイム問題

L-yard 編集室。ハクアがスマホ3台とノートPC2台を並べている

イロハ
イロハ

ハクアちゃん。一つ、聞いてもよろしいですか。

ハクア
ハクア

なに?

イロハ
イロハ

その5台の画面は、本当に全部必要ですか?

ハクア
ハクア

もちろん。左のスマホがSlack通知、中央がタイマー、右がSpotify。ノートPCの一台がコーディング、もう一台がドキュメント参照。全部役割が違うよ。

イロハ
イロハ

(ため息をついて) ……最近、スクリーンタイムを計測しましたか?

ハクア
ハクア

してないけど、たぶん14時間くらい?

イロハ
イロハ

14時間。起きている時間の87.5%ですよ。

ハクアが少し黙る。

ハクア
ハクア

……で? それが何か問題なの?

イロハ
イロハ

問題かどうかはさておき、一つ提案があります。デジタルデトックスをしませんか?

ハクア
ハクア

……来た。イロハのそれ、来たね。


デジタルデトックスは「嘘」か

ハクア
ハクア

先に言っておくけど、ボク、デジタルデトックスは信じてないよ。

イロハ
イロハ

なぜですか?

ハクア
ハクア

だってさ、「スマホを置いて自然の中を歩きましょう」とか言ってるメディア記事、全部スマホで読まれてるわけでしょ。矛盾してない?

イロハが眼鏡を直す。

イロハ
イロハ

……それは配信媒体の問題であって、内容の正否とは関係ありません。

ハクア
ハクア

いや、本質的な話だよ。デジタルデトックスって、「テクノロジーは悪」という前提から始まってる。でもボクの仕事はテクノロジーで成り立ってるし、ボクの趣味もテクノロジーの中にある。それを断つのは、ボクの人生そのものを否定するのと同じだよ。

イロハ
イロハ

……。

ハクア
ハクア

あと、デトックスって「毒を抜く」って意味でしょ。スマホは毒じゃない。道具だよ。包丁で指を切ったからって「包丁デトックス」とは言わない。


イロハの反論——認知資源の有限性

イロハ
イロハ

(静かに) ハクアちゃん。貴方の論理は半分正しくて、半分間違っています。

ハクア
ハクア

どこが?

イロハ
イロハ

テクノロジーが「悪」かどうかは、問題の本質ではありません。問題は認知資源の有限性です。

イロハがホワイトボードに向かう。

イロハ
イロハ

人間の注意力は有限です。心理学者のダニエル・カーネマンは、これを「注意の経済学」と呼びました。あなたが5台の画面に注意を分散させているとき、一つ一つの画面に向ける認知資源は5分の1になっている。

ハクア
ハクア

いや、それはマルチタスクの話でしょ。ボクは並列処理してるんじゃなくて、画面を切り替えてるだけだよ。

イロハ
イロハ

それが問題なのです。グロリア・マーク博士の研究では、画面を切り替えるたびに約23分の集中回復時間が必要とされています。あなたが5台の画面を頻繁に切り替えているなら、深い集中には一度も到達していない可能性がある。

ハクアが腕を組む。

ハクア
ハクア

……23分? それ、ちょっと大げさじゃない?

イロハ
イロハ

大げさかどうかは、ご自身で検証なさい。一日だけ、画面を1台にしてみてください。


ハクアの反撃——「退屈」の生産性

ハクア
ハクア

じゃあ逆に聞くけど、イロハは最近いつ退屈した?

イロハ
イロハ

……退屈?

ハクア
ハクア

そう。何もすることがなくて、ぼーっとしてる時間。

イロハ
イロハ

……思い出せません。

ハクア
ハクア

でしょ。ボクもだよ。でもさ、昔の人は退屈してたわけじゃん。電車を待つ間、お風呂に入ってる間、寝る前の数分。その「退屈」の時間に、人間の脳はデフォルトモードネットワークっていう状態になって、創造的な思考をするんだって。

イロハ
イロハ

(少し驚いて) ……ハクアちゃん、あなた神経科学を勉強したのですか?

ハクア
ハクア

えへへ。ちょっとね。つまりさ、デジタルデトックスの本当の価値があるとしたら、それは「テクノロジーを断つ」ことじゃなくて、**「退屈を取り戻す」**ことなんだよ。

イロハが目を見開く。

イロハ
イロハ

……それは、わたしの主張と矛盾していません。

ハクア
ハクア

え?

イロハ
イロハ

わたしが言いたかったのも同じです。画面を減らすことが目的ではない。認知の余白を作ることが目的なのです。


第三の道——意図的な注意配分

ハクア
ハクア

(首をかしげて) ……じゃあ、ボクたち結局同じこと言ってない?

イロハ
イロハ

似ていますが、少し違います。整理しましょう。

イロハがホワイトボードに書き出す。

イロハ
イロハ

立場A——デジタルデトックス推進派。「テクノロジーは悪。離れるべき」。

ハクア
ハクア

それはボクは反対。

イロハ
イロハ

立場B——テクノロジー楽観派。「道具に善悪はない。好きに使えばいい」。

ハクア
ハクア

ボクはこっちかな。

イロハ
イロハ

そしてわたしが提案するのは、立場C。「テクノロジーとの関係を意図的にデザインする」

ハクアが前のめりになる。

イロハ
イロハ

善でも悪でもない。ただし、使い方を意識しなければ、認知資源は無自覚に消費される。だから、いつ・何に・どれだけ注意を向けるかを、自分で設計するのです。

ハクア
ハクア

……それって、dotfilesと同じ発想だね。

イロハ
イロハ

ハクア
ハクア

前に話したでしょ。ターミナルの設定を自分で書くのは、「理解していないものを環境に置きたくない」から。注意の配分も同じで、無意識に通知に反応するんじゃなくて、自分で「この時間はこの画面だけ」って設定する。

イロハ
イロハ

(微笑んで) ……ええ。まさにその通りです。注意のdotfiles


実験の結果

(翌週)

ハクア
ハクア

イロハ。一週間やってみた。

イロハ
イロハ

どうでしたか?

ハクア
ハクア

午前中はスマホを引き出しに入れて、ノートPC1台だけで作業した。午後は自由にした。

イロハ
イロハ

それで?

ハクア
ハクア

……午前中の生産性、体感で1.5倍くらい。でも午後にスマホを出した瞬間、通知を全部チェックしちゃって、30分溶けた。

イロハ
イロハ

(ふふ) 午前の成果と午後の損失、差し引きでプラスですか?

ハクア
ハクア

うん。明確にプラス。でもさ、一番驚いたのはそこじゃないんだよ。

イロハ
イロハ

ハクア
ハクア

午前中の「画面が一つだけ」の時間、久しぶりに退屈した。何もすることがない瞬間が3回くらいあった。そのとき、なんか……頭の中が整理される感覚があった。

イロハ
イロハ

デフォルトモードネットワーク。

ハクア
ハクア

そう。自分で言っておいてなんだけど、体感すると全然違う。退屈って、実はすごく贅沢な時間なのかも。

イロハ
イロハ

(眼鏡をクイッと上げて) 最初からそう言ったでしょう。

ハクア
ハクア

言ってない。

イロハ
イロハ

言いました。


デジタルデトックスは嘘だ。——しかし、その嘘の中に一粒の真実がある。

問題はテクノロジーの善悪ではない。注意の配分を自分で設計しているかどうかだ。無意識に通知に反応し、画面を切り替え、情報を消費し続ける状態は、自分の環境を「他人に設定されたdotfiles」で動かしているのと同じだ。

ハクアとイロハが辿り着いたのは、「スマホを捨てろ」でも「好きに使え」でもない第三の道——意図的な注意のデザインだった。

あなたの注意のdotfiles、最後に書き直したのはいつだろうか。


イロハの本棚

この記事で触れた書籍と、さらに深く知りたい人への推薦図書。

メイン書籍

『エッセンシャル思考』 グレッグ・マキューン(かんき出版、2014年)

イロハの一言: 「『より少なく、しかしより良く』。注意の配分を設計するとは、まさにこの思想の実践です。デジタルデトックスの前に、まずこの本を読んでください」

関連書籍

  • 『デジタル・ミニマリスト』 カル・ニューポート — テクノロジーとの関係を再設計する実践ガイド
  • 『ファスト&スロー』 ダニエル・カーネマン — 人間の認知システムの仕組み。「注意の経済学」の原典

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