ターミナルを住処にする — 環境構築の哲学
ターミナルを「使う」人と、ターミナルに「住む」人がいる。
L-yard編集室で、ハクアとイロハは以前、北斎ブルーのカラースキームと襲の色目のテーマについて語り合った。あのとき二人が触れたのは、ターミナルの「見た目」だった。しかし今日の話は、もっと深い——環境そのものの設計思想だ。
dotfilesは思想の表明である
L-yard 編集室。ハクアが新しいマシンのセットアップをしている
よし、新しいMacが来た。セットアップするか。
あら、また新しい機材ですか。前のはまだ使えたのでは?
うん、でも環境構築し直すのが楽しいんだよね。ボク、dotfilesをGitで管理してるから、一発で全部復元できるし。
dotfiles?
.zshrcとか.gitconfigとか、設定ファイル全般のこと。これをGitリポジトリにまとめておけば、新しいマシンでもcloneして実行するだけで、ボクの環境が完全に再現される。
イロハがモニターを覗き込む。
……随分と長い設定ですね。これは何行あるのですか?
zshrcが200行くらい、全体で600行くらいかな。エイリアス、関数、パス設定、プロンプトのカスタマイズ——全部入ってる。
600行……。それはもはや「設定」ではなく「設計図」ですね。
そう。だからdotfilesは思想の表明なんだよ。どのコマンドにエイリアスを貼るか、どのツールを使うか、シェルのプロンプトに何を表示するか——全部、その人の作業哲学が反映されてる。
効率と美のターミナル論争
ハクアちゃん。貴方のターミナルを見ていて、一つ気になることがあります。
なに?
美しくない。
……。
(モニターを指して) フォントサイズがバラバラ、色のコントラスト比が低い、行間が詰まりすぎている。これでは長時間の作業で目が疲れるでしょう。
いやいや、ボクのは速さ重視なんだよ。視覚情報は最小限、プロンプトはシンプル、余計な装飾はゼロ。
「速さ重視」と「読みづらい」は違いますよ。
イロハがハクアのキーボードに手を伸ばす。
以前、わたしが設計した北斎ブルーのカラースキームを覚えていますか? あれは「美しさ」のためだけに作ったのではありません。認知負荷を下げるための配色設計だったのです。
……。
構文ハイライトの色に意味を持たせれば、コードの構造が一瞬で把握できる。キーワードは暖色、文字列は寒色、コメントは低彩度——この規則があるだけで、目がコードを「読む」前に「見る」ことができるのです。
つまり、美しさが速さにつながるって言いたいの?
ええ。美学は機能です。リバリーのときにも言いましたよね。
シェルの選択、人生の選択
(新しいマシンの設定を進めながら) そういえばさ、イロハってシェル何使ってるの?
zshです。ただし、Oh My Zshは使っていません。
え、手動設定派? 珍しくない?
フレームワークを使うと、自分が理解していない設定が大量に入りますからね。わたしは自分の環境に「理解していないもの」を置きたくないのです。
……それ、ちょっとわかるかも。ボクもOh My Zsh外したんだよね。起動が遅くなるのが嫌で。
起動速度もありますが、本質は所有感です。自分で書いた200行のzshrcは、誰かが書いた2000行のフレームワークよりも、自分のものだという感覚がある。
ハクアが何かに気づいたような顔をする。
……イロハ、それってボクの遺物の話と同じだね。Socket 7のマザーボードが捨てられないのは、自分で組んだから。手を動かした記憶があるから。
ええ。dotfilesも同じです。一行一行、自分で書いた設定には「なぜこうしたか」の記憶が宿っている。それは単なるテキストファイルではなく、作業の記憶の堆積です。
道具と住処の違い
ボク、前から思ってたんだけどさ。エディタとかターミナルを「道具」って言う人多いよね。でもボクにとっては違うんだよなあ。
……と言いますと?
道具って、使い終わったら片付けるものじゃん。でもターミナルは違う。ボクはターミナルの中で考えて、試して、壊して、直して、また考える。住んでるんだよ、そこに。
(静かに微笑んで) 「住処」ですか。
うん。だから壁紙みたいにカラースキームにこだわるし、家具みたいにエイリアスを配置するし、導線みたいにパスを設計する。住む場所は快適じゃないと。
それなら、わたしからの提案です。
イロハがハクアのモニターに手を伸ばし、設定を一つ変える。
フォントを等幅のFiraCode Nerdに。リガチャを有効に。行間を1.5に。
(画面を見て) ……あ。読みやすい。
住処の最初のリフォームですよ。次は配色を見直しましょう。北斎ブルーの最新版を入れてあげます。
……悔しいけど、お願いしていいですか。
(眼鏡をクイッと上げて) 最初からそう言えばよいのです。
ターミナルは、道具ではない。住処だ。
dotfilesの一行一行には、その人の作業哲学が刻まれている。効率を追求するか、美しさを追求するか——その答えは人それぞれだが、ハクアとイロハが教えてくれるのは、効率と美しさは対立しないということだ。
北斎ブルーのカラースキームから始まった二人のターミナル論は、まだ続いている。次に彼女たちの画面を覗いたとき、きっと前より少しだけ、住み心地がよくなっているはずだ。
イロハの本棚
この記事で触れた書籍と、さらに深く知りたい人への推薦図書。
メイン書籍
『プログラマー脳』 Felienne Hermans(秀和システム、2023年)
イロハの一言: 「認知科学から見たプログラミング。なぜ構文ハイライトの配色が重要なのか、なぜフォント選びが生産性に影響するのか——その科学的根拠が学べますよ」
関連書籍
- 『リーダブルコード』 Dustin Boswell, Trevor Foucher — 読みやすいコードの原則。ターミナルの「読みやすさ」にも通じる
- 『UNIXという考え方』 Mike Gancarz — UNIXの設計哲学。dotfiles文化の源流