北斎の青|浮世絵に見るプルシアンブルーの色彩革命
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北斎の青|浮世絵に見るプルシアンブルーの色彩革命

葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」に見られる鮮やかな青。その正体は西洋から渡来した合成顔料プルシアンブルー(ベロ藍)だった。江戸時代の浮世絵師たちが手にした新しい青が、日本美術に革命を起こした物語。

北斎プルシアンブルー浮世絵ベロ藍美術史

あの青は、日本生まれではなかった

葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」——おそらく世界で最も有名な浮世絵です。

富士山を背景に、巨大な波が船を飲み込もうとしている。その波の深く鮮やかな青は、一度見たら忘れられない印象を残します。

しかし、この象徴的な青には秘密があります。

それは日本生まれの色ではなかったのです。


プルシアンブルーの誕生——偶然の発明

1704年、ベルリン。染色業者ヨハン・ディースバッハが、偶然の事故から新しい青を発見しました。

彼は赤い染料を作ろうとしていました。しかし、使った材料が不純物を含んでいたため、予想に反して深い青色が生まれたのです。

この色は「プルシアンブルー(Prussian Blue)」と名付けられました。プロイセン(Prussia)で発見されたことに由来します。

なぜ画期的だったのか

それまで、青い顔料を作るのは非常に困難でした。

ウルトラマリンはラピスラズリから作られ、金と同等の価値がありました。は植物由来で、褪色しやすく、鮮やかさに限界がありました。

プルシアンブルーは違いました。

  • 人工的に合成できる——大量生産が可能
  • 安価——ウルトラマリンの100分の1以下
  • 鮮やか——深みのある強い青
  • 安定——褪色しにくい

これは、人類が初めて手にした合成顔料でした。


ベロ藍——日本への到来

プルシアンブルーが日本に伝わったのは、18世紀後半のことです。

オランダ商人を通じて長崎に輸入され、日本では**「ベロ藍」**と呼ばれるようになりました。「ベルリンの藍」が転訛したものです。

当時の絵師たちにとって、これは衝撃でした。

それまで日本の青といえば、藍染めの**「藍色」や、露草から取った「露草色」**が主流でした。どちらも植物由来で、淡く、褪色しやすい色でした。

ベロ藍は全く異なっていました。深く、鮮やかで、光に強い青。日本の絵師たちが見たことのない色だったのです。


北斎、新しい青に出会う

葛飾北斎がベロ藍を本格的に使い始めたのは、1830年頃——彼が70歳を過ぎてからのことです。

それまで北斎は、すでに50年以上の画業を積んでいました。役者絵、美人画、読本の挿絵——あらゆるジャンルを手がけ、画号を30回以上も変えるほどの実験精神を持つ画家でした。

しかし、ベロ藍との出会いは、晩年の北斎にさらなる飛躍をもたらしました。

「冨嶽三十六景」の誕生

1831年から1834年にかけて刊行された「冨嶽三十六景」シリーズ。

「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下白雨」——これらの名作は、すべてベロ藍を駆使して描かれました。

北斎は、この新しい青を使って空気遠近法を実現しました。遠くの富士山を薄い青で、近くの波を濃い青で描くことで、奥行きを表現したのです。

これは西洋絵画では一般的な技法でしたが、日本の木版画では革新的でした。平面的だった浮世絵に、空間と深度が生まれたのです。


歌川広重——青の継承

北斎のベロ藍使用は、他の絵師たちにも大きな影響を与えました。

歌川広重は、北斎より37歳年下の絵師です。彼の代表作「東海道五十三次」(1833-1834年)もまた、ベロ藍を効果的に使っています。

二人の青の違い

北斎の青は力強く、ダイナミックです。「神奈川沖浪裏」の波は、まるで生き物のように躍動しています。

一方、広重の青は叙情的で静謐です。「東海道五十三次」の雨の場面や夕暮れの空には、しみじみとした情感が漂っています。

同じベロ藍を使いながら、二人の個性は全く異なる表現を生み出しました。顔料は道具に過ぎず、芸術家の視点こそが作品を決定するのです。


西洋への逆輸入

皮肉なことに、ベロ藍で描かれた日本の浮世絵は、やがて西洋に逆輸入されることになります。

19世紀後半、パリを中心に「ジャポニスム」が流行しました。モネ、ゴッホ、ホイッスラーなどの画家たちが、浮世絵に魅了されたのです。

ゴッホは北斎の「神奈川沖浪裏」を模写し、その構図と色彩から多くを学びました。モネの庭には太鼓橋が架けられ、「睡蓮」の連作には浮世絵の影響が見られます。

西洋で生まれた青が日本で花開き、再び西洋の芸術に影響を与える——色彩は国境を越え、時代を越えて循環するのです。


現代に生きる北斎ブルー

今日、「神奈川沖浪裏」は世界で最も複製されるイメージの一つです。

Tシャツ、スマートフォンケース、エコバッグ——あらゆるものに北斎の波がプリントされています。そして人々は、あの深い青に惹かれ続けています。

なぜ色あせないのか

北斎が使ったベロ藍は、化学的に安定した顔料です。200年前の版画が今も鮮やかな青を保っているのは、この顔料の性質によるものです。

しかし本当の理由は、色の安定性だけではないでしょう。

北斎は、青という色が持つ深さと力強さを理解していました。海の青、空の青、そして人の心に響く青。70歳を過ぎてなお、新しい表現を求め続けた画家は、偶然手にした外来の顔料を使って、普遍的な美を生み出しました。


偶然と必然

プルシアンブルーの発見は偶然でした。

ベルリンの染色業者が間違った材料を使わなければ、この青は生まれなかったかもしれません。そしてオランダ商人が長崎に運ばなければ、北斎の手には届かなかったかもしれません。

しかし、その偶然を芸術に昇華させたのは、北斎の必然——観察し、実験し、表現するという画家としての意志でした。

「神奈川沖浪裏」の波は、化学と芸術、西洋と東洋、偶然と必然が交差した場所で生まれました。だからこそ、あの青は今も私たちの心を打つのかもしれません。



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