黒は「自然な」弔いの色か
あなたの葬儀で、全員が白い服を着ていたら——違和感があるだろうか。
現代の日本で喪服といえば黒だ。これはあまりに当然のことに思え、疑問を持つ人は少ない。しかし歴史をさかのぼると、日本の喪服は白だった。そして西洋でも、黒が喪の色として定着したのは、意外なほど最近のことだ。
弔いの色には、文明ごとの死生観が凝縮されている。
西洋の黒——ローマから始まった暗色の伝統
古代ローマの「トガ・プッラ」
西洋における喪服の黒の起源は、古代ローマに遡る。ローマ市民は葬儀の際、暗色の「トガ・プッラ」(toga pulla)を着用した。白いトガが日常と公式の象徴だったのに対し、暗い色のトガは「日常を離れた状態」——つまり悲嘆を示していた。
ただし、ここで注意が必要だ。古代ローマの「暗色」は必ずしも真っ黒ではない。染料技術の限界もあり、濃い灰色や暗い茶色も含まれていた。純粋な黒が喪の「正色」として確立するには、まだ数世紀を要する。
中世ヨーロッパ——黒の価値と染色技術
中世ヨーロッパで黒は、高価な色だった。
良質な黒染めには、オーク樹皮のタンニンと鉄媒染の組み合わせが必要で、しかも堅牢度の高い黒を出すには何度も染め重ねる必要があった。結果として、深く均一な黒衣は富裕層の証となり、喪服としての黒は「悲しみの深さ」と「社会的地位」の両方を表現する色となった。
14世紀のブルゴーニュ公フィリップ善良公は、父の暗殺後に黒衣を常用したことで知られる。この「善良公の黒」は政治的意味も帯びていた。喪に服すことを視覚的に示し続けることで、復讐の意志を宣言していたのだ。
ヴィクトリア女王——「喪の美学」の完成
西洋の黒い喪服を決定づけたのは、19世紀のヴィクトリア女王だ。
1861年、夫アルバート公の死去に際し、ヴィクトリア女王は残りの人生すべてを喪服で過ごすことを決意する。その期間、約40年。女王の喪服はジェット(黒玉)の宝飾品で飾られ、深い黒のクレープ生地で仕立てられた。
女王の影響力は絶大だった。ヴィクトリア朝の英国社会は精緻な喪のエチケットを発展させる。
- 深喪(Deep mourning): 1年間。光沢のない黒のみ
- 半喪(Half mourning): 6ヶ月。灰色、薄紫、白の使用を許可
- 軽喪(Light mourning): 3ヶ月。通常の服装に徐々に戻す
この段階的な喪の解除は、色彩によって悲嘆の「時間」を可視化する仕組みだった。黒から始まり、灰色を経て、やがて色のある世界に戻る——色が感情の回復を測る尺度になっていたのだ。
東洋の白——浄土へ送る色
日本の白喪装束
日本の弔いの色は、長い歴史を通じて白だった。
『古事記』の時代から、白は清浄・無垢の色として特別な意味を持っていた。死者の装束は白。弔いに集まる人々も白。死は穢れであり、白はその穢れを祓う力があると考えられていた。
平安時代の貴族の葬送でも、白が基調だった。『源氏物語』に描かれる葵の上の葬儀で、光源氏は「白き御衣」をまとっている。白は悲しみの表現であると同時に、故人が清浄な世界へ旅立つことへの祈りでもあった。
中国でも事情は同じだ。儒教の喪礼では白麻の衣を着用する。「五服」と呼ばれる喪の制度があり、故人との関係の深さによって服喪期間と衣服の種類が異なる。もっとも重い「斬衰」は3年間、裾を切りっぱなしにした粗い白麻の衣を着る。
仏教圏の白と黒
仏教圏における弔いの色は地域によって異なる。
タイの王室葬儀では白が使われ、庶民の葬儀では黒が一般的だ。インドのヒンドゥー教では白が喪の色で、特に寡婦は白いサリーを着用する。
これらに共通するのは、白=世俗を離れることという観念だ。色を持たない白は、この世の執着を手放すことの象徴であり、死者の魂が清らかに次の世界へ移行することを祈る色だった。
転換点——明治の「黒への切り替え」
1897年、明治天皇の決断
日本の喪服が白から黒に変わった転換点は、明治時代にある。
1897年(明治30年)、英照皇太后の大喪の礼で、宮中の喪服が洋式の黒に改められた。西洋式の外交儀礼を採用していた明治政府にとって、白い喪服は外国使節の目に「異質」に映ることが懸念されたのだ。
この転換は一夜にして起きたわけではない。
- 1873年: 太政官布告で洋服の着用を推奨
- 1886年: 宮中の正装を洋装に統一
- 1897年: 皇太后の大喪で黒い喪服を正式採用
- 1900年代〜: 民間にも黒い喪服が徐々に浸透
庶民の間で黒い喪服が一般化したのは、さらに遅い。関東大震災(1923年)後の生活簡素化運動や、戦時中の物資不足が白から黒への移行を加速させたとされる。黒は汚れが目立たず、繰り返し着用できる実用的な色でもあった。
文化の「上書き」か「選択」か
ここで問うべきは、明治の転換が「西洋化」による文化の喪失だったのか、という点だ。
たしかに、白い喪服には千年以上の歴史がある。その伝統が政治的判断で中断されたことは事実だ。しかし一方で、色彩は常に流動的であったことも忘れてはならない。
平安時代にも、喪に際して「鈍色(にびいろ)」——灰色がかった暗い色——が用いられる場合があった。江戸時代の庶民は、純白の喪服を仕立てる余裕がなく、手持ちの地味な着物で葬儀に参列していた。純白の喪服は、実は上流階級のものであり、庶民の弔いの色は時代によって揺れ動いていたのだ。
黒への転換は、西洋の模倣であると同時に、「喪の色は暗い色」という普遍的感覚に合流した結果でもある。
色が語る死生観
黒の意味——「不在」の色
西洋において黒が弔いの色になった理由を、色彩心理学から読み解くことができる。
黒は可視光をすべて吸収する。つまり、光の不在だ。愛する人を失った悲嘆——存在の不在——を、光の不在で表現する。この対応関係は直感的で、文化を超えた説得力がある。
また、黒には「退行」の効果がある。黒い服は着用者を群衆に溶け込ませ、個を消す。これは喪に服す者の態度——自分を前に出さず、故人を偲ぶ——と一致する。
白の意味——「始まり」の色
東洋の白は、まったく異なる死の捉え方を示している。
白は全ての色を含む。何にも染まっていない状態。これは仏教の**「空」**の概念と響き合う。死は終わりではなく、次の生への移行であり、白はその移行を象徴する「まだ何も書かれていないページ」なのだ。
白い産着と白い死装束。生と死の両方に白が使われることは、東洋的な循環の死生観を色彩で表現している。
黒と白は対立しない
興味深いのは、黒と白が「正反対」でありながら、弔いという同じ目的に使われてきたことだ。
黒は「不在」を示し、白は「清浄」を示す。方法は正反対だが、どちらも日常から離れた非日常の状態を表現している点は同じだ。華やかな色を避け、極限の無彩色を選ぶことで、弔いの場が日常と区別される。
色が伝えているのは、悲しみの「正解」ではなく、その文明が死をどう受け止めてきたかという思想の蓄積だ。
現代——溶け合う弔いの色
現代のグローバル化は、弔いの色にも影響を与えている。
日本では黒い喪服が標準だが、「白い花」で棺を飾る文化は残っている。西洋では、遺族の希望で「故人の好きだった色」で参列する「カラフル・フューネラル」が増えつつある。アフリカのガーナでは、赤や黒の布を巻く弔いの文化がある。
弔いの色に「正解」はない。あるのは、それぞれの文明が長い時間をかけて紡いできた死への向き合い方だけだ。
次に黒い服を着て葬儀に向かうとき、少しだけ立ち止まってほしい。その黒には、古代ローマの暗色のトガから、ヴィクトリア女王の40年の喪、そして明治の転換——何世紀もの歴史が折り畳まれている。
さらに知りたい人へ
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