本棚が「見えなくなった」時代に、私たちは何を読んでいるのか
スマートフォンを開けば、そこに3,000冊の本がある。検索すれば該当箇所に一瞬で飛べる。ハイライトは自動で同期され、読書ノートはクラウドに保存される。
電子書籍は、読書を「便利」にした。
だが、便利になったことで、私たちの「読む」はどう変わったのか。部屋に本棚がなくなったあの日から、何かが静かに失われている気がする。
消えた風景
L-yard 編集室。ハクアがタブレットで漫画を読んでいる
イロハ、見てよこれ。セールで50%OFFだったから、まとめて30冊買っちゃった。
あら、何を?
マンガ。全部合わせて4,500円くらい。紙で買ったら1万超えてたよ。電子書籍マジ最強。
4,500円で30冊。……では、先月買った本は?
え? えーと……何か買った気はするんだけど。
先々月は?
……覚えてない。ライブラリ検索すればわかるけど。
(眼鏡をクイッと上げて) そこが問題なんですのよ。「検索すれば出てくる」ということは、「覚えていなくていい」ということ。そして「覚えていない」ものは、読んだうちに入りますか?
いや、読んだよ! ちゃんと最後まで読んだし!
ページをめくった、ということと、「読んだ」ということは、同じではありませんわ。
かつて、本棚は「自分の知性の風景」だった。
客人が部屋を訪れたとき、本棚を眺める。背表紙のタイトルが、その人の関心、思考の軌跡、知的な来歴を無言で語る。本棚は履歴書であり、自画像であり、もっとも正直な自己紹介だった。
電子書籍リーダーの中にも「ライブラリ」はある。だが、それは他人に見せるものではない。自分でさえ、スクロールしなければ何を持っているかわからない。本棚という「風景」が消えたことで、蔵書は「資産」から「データ」に変わった。
借りているのか、持っているのか
まあ、本棚がどうとかは分かったけどさ。実際のところ、電子書籍のほうが便利なのは事実じゃん。場所取らないし、暗いところでも読めるし、何千冊でも持ち歩ける。
ええ、利便性は認めますわ。ですが、ハクアちゃん。その「何千冊」は、本当に貴方の「もの」ですか?
は? 買ったんだから、ボクのでしょ。
利用規約を読んだことは?
……誰が読むのそんなの。
(淡々と) ほとんどの電子書籍ストアの利用規約には、こう書かれていますわ。「購入」とは、コンテンツへのアクセス権の付与であり、コンテンツの所有権の移転ではない、と。
……え? じゃあボクが買ったのって何なの?
「読む許可」ですわ。鍵のかかった部屋に入るための入場券。部屋そのものは、ストアのものですの。
てか、それってサービス終了したら全部パーってこと?
理論上は、そうなりますわね。
電子書籍の「購入」は、物理的な本の購入とは本質的に異なる。紙の本を買えば、出版社が倒産しようが、著者と揉めようが、手元の1冊は消えない。友人に貸すことも、古本屋に売ることも、孫に遺すこともできる。
電子書籍には、それができない。DRM(デジタル著作権管理)が、すべてのコンテンツに見えない鍵をかけている。
| 行為 | 紙の本 | 電子書籍 |
|---|---|---|
| 貸す | 自由 | 不可 |
| 売る | 自由 | 不可 |
| 遺す | 自由 | 原則不可 |
| 別端末で読む | 自由 | ストア依存 |
| サービス終了後 | 影響なし | 読めなくなる可能性 |
……これ、なんかサブスクと変わらなくない? 買い切りのはずなのに。
鋭いですわね。実は、電子書籍の「購入」は、永続的なサブスクリプションに近い構造なんですの。ストアが存続する限りは読める。ストアが消えれば、一緒に消える。
うわ……。ボクの3,000冊、全部砂の城じゃん。
大手ストアが突然消えるリスクは低いですけれど、ゼロではありませんわ。2014年に、あるストアがサービスを終了した際、購入者には別ストアへのポイント移行で対応しました。本そのものは移行できなかった。
「読む速度」と「考える速度」
……ねえ、ちょっと話変わるんだけどさ。
なんですか?
ボク、電子書籍にしてから読むスピード上がったんだよね。ワンタップでめくれるし、気になったらすぐハイライトできるし。月に10冊くらい読めるようになった。
それは……本当に「速くなった」んですか? それとも「浅くなった」だけでは?
ぐ……。
紙の本には、物理的な「間(ま)」がありますの。ページをめくる0.5秒、次の章に入る前に本を閉じて天井を見上げる数秒。その小さな断絶が、考える時間を作ってくれる。
……あー。たしかに、電子だとスワイプの勢いでそのまま読み進めちゃうかも。
スマートフォンで読んでいると、通知が来て中断し、SNSを覗いて戻ってくる。「読む」と「流す」の境界が曖昧になりますわ。
てかさ、ボクいまマンガと小説で読み方全然違うかも。マンガは電子で全然いいんだけど、たまに読むビジネス書は……正直、頭に残ってない気がする。
ふふ。気づいてしまいましたわね。
ここで、ひとつ面白い脱線をしよう。
「本棚が見えない」問題は、じつは別の効果も生んでいる。本棚がないということは、「まだ読んでいない本」も見えない、ということだ。
紙の本棚には、いわゆる「積読」が物理的に存在する。買ったのに読んでいない本が、背表紙でこちらを見ている。あの無言の圧力——「早く読みなさい」という積読の視線——が、電子書籍にはない。
あ……それ、すごい分かる。電子だと「あとで読む」に入れたまま永遠に放置してるやつ大量にある。
紙の積読は「罪悪感」を伴いますけれど、同時に「次に読む楽しみ」でもありますの。部屋の一角に積まれた未読の山は、まだ開かれていない可能性の集積ですわ。
……待って。それって今の話と繋がるじゃん。「見えない」から忘れる、「見えない」から向き合わない、「見えない」から軽くなる。全部同じ構造だ。
ええ。電子書籍の問題は、「デジタルだから」ではなく、「不可視だから」なんですの。
共存という選択肢
……じゃあさ、結局どうすればいいの。全部紙に戻せって?
そんな極端なことは申しませんわ。電子書籍には電子書籍の美点がありますもの。
お、珍しく優しいじゃん。
(眼鏡の奥で目が光る) 甘く見ないでくださいませ。「どちらか」ではなく、「使い分け」を考えなさい、と言っているんです。
使い分け?
ええ。たとえば、こういう基準はいかがでしょう。
| 判断基準 | 紙がよい場合 | 電子がよい場合 |
|---|---|---|
| 読み返す頻度 | 何度も読み返す | 一度読めばよい |
| 内容の深さ | じっくり考えたい | さっと情報を得たい |
| 物理的な存在 | 手元に置きたい | 場所を取りたくない |
| 共有 | 誰かに貸したい | 自分だけで読む |
| 探し方 | 偶然の出会い | 検索で正確に |
あー、なるほど。マンガの続き物とか、旅行ガイドとかは電子でいいけど、何回も読む本は紙で持っとけってこと?
そうですわ。hontoのように、紙と電子を一元管理できるサービスもありますしね。大切なのは、「全部デジタルでいい」と思考停止しないことですわ。
……悔しいけど、ボクの本棚、たしかにスカスカだわ。引っ越しのとき全部電子に移行したから。
(静かに微笑んで) でしたら、今夜1冊だけ、紙の本を買ってみなさい。棚に並べて、背表紙を眺めてみてください。その1冊が、貴方の「知性の風景」の最初の一画になりますわ。
(タブレットを閉じながら) ……うん。なんか、久しぶりに本屋行きたくなってきたかも。
電子書籍か紙の本か。この問いに正解はない。
だが、「便利だから」という理由だけで選んだ道の先に、何が残るかは考えておいたほうがいい。3,000冊のライブラリは、ストアの存続に依存する砂の城かもしれない。一方、本棚に並んだ30冊は、地震が来ても、サーバーが落ちても、そこにある。
大切なのは、「読む」という行為に、どれだけの重みを置くかだ。1冊の本は、ワンクリックで買える商品にもなれば、人生を変える出会いにもなる。その差を決めるのは、メディアの形態ではなく、読む側の姿勢だ。
イロハの本棚
この記事のテーマをさらに深く考えたい方への推薦図書。
メイン書籍
『読んでいない本について堂々と語る方法』 ピエール・バイヤール(筑摩書房、2008年)
イロハの一言: 「読んでいなくても本について語れる——この逆説的なタイトルが、じつは『読む』とは何かを最も深く問いかけていますのよ」
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