この本について
『心理的安全性のつくりかた』は、株式会社ZENTech取締役の石井遼介による、日本の組織における心理的安全性の実践ガイドだ。
「心理的安全性(Psychological Safety)」という概念は、ハーバード・ビジネススクールのエイミー・エドモンドソン教授が1999年に提唱し、2015年にGoogleの「プロジェクト・アリストテレス」が「チームの生産性を最も左右する因子」として発表したことで世界的に注目された。
しかし、この概念には大きな誤解がつきまとう。**「心理的安全性=ぬるま湯」という誤解だ。本書はこの誤解を正面から否定し、心理的安全性とは「厳しいフィードバックができる関係性」**であることを、行動分析学の理論と日本企業の事例で証明している。
2020年の発売以来、日本で累計20万部を超えるベストセラーとなった。
こんな人におすすめ
- 「うちのチームは意見が出ない」と悩むリーダー — 沈黙の構造的原因と具体的な打開策がわかる
- 1on1がうまくいかないマネージャー — 部下が本音を話すための心理的条件が学べる
- 新しいチームを立ち上げる人 — 初期段階から心理的安全性を設計する方法を知れる
- 失敗を報告できない組織にいる人 — 「罰と沈黙の悪循環」から抜け出すヒントがある
- リモートワークでチームの結束が弱まった人 — オンライン環境での信頼構築のポイントがわかる
読みどころ
心理的安全性の4因子
本書の核心は、石井が行動分析学をベースに構築した4因子モデルだ。
- 話しやすさ — 何を言っても否定されない安心感
- 助け合い — 困ったときに助けを求められる関係性
- 挑戦 — 新しいことを試しても罰されない文化
- 新奇歓迎 — 異質な視点や個性が歓迎される環境
この4因子はGoogleの研究をベースにしつつ、日本の組織文化に合わせて再構成されている。特に「話しやすさ」を第一因子に据えたのは、日本企業特有の「空気を読む」文化への対策だ。
「ぬるま湯」との決定的な違い
心理的安全性の最大の誤解は、「何でも許される楽な環境」という解釈だ。
石井は明確に区別する。心理的安全性が高い組織では、むしろ厳しいフィードバックが増える。なぜなら、率直に問題を指摘しても「人格を否定された」と受け取られないからだ。
本書では、心理的安全性と「仕事の基準」の2軸でチームを4象限に分類している。
- 心理的安全性 高 × 基準 高 → 学習するチーム(理想)
- 心理的安全性 高 × 基準 低 → ぬるま湯チーム
- 心理的安全性 低 × 基準 高 → 不安と罰のチーム
- 心理的安全性 低 × 基準 低 → 無関心なチーム
目指すべきは右上の「学習するチーム」であり、基準を下げることではない。
行動分析学による「きっかけ→行動→みかえり」
石井が本書で繰り返し使うフレームワークが、行動分析学のABC分析だ。
- A(Antecedent): きっかけ — 会議で上司が「自由に意見を」と言う
- B(Behavior): 行動 — 部下が率直な意見を述べる
- A(Consequence): みかえり — 上司が「なるほど」と受け止める(or 否定する)
人間の行動は「きっかけ」ではなく「みかえり」によって強化される。つまり、「自由に意見を言ってください」と宣言するだけでは行動は変わらない。意見を言った後の反応が、次の行動を決めるのだ。
この原理を知るだけで、なぜ「心理的安全性を大事にしよう」というスローガンだけでは組織が変わらないのかが理解できる。
日本企業の「暗黙の罰」
本書で特に印象的なのは、日本企業特有の**「暗黙の罰」**の分析だ。
欧米企業の罰は明示的(減給、降格)だが、日本企業の罰は暗黙的に行われる。ため息、無視、冷笑、「前例がない」という一言——これらは公式な罰ではないが、発言者に「二度と言うまい」と学習させる。
石井はこれを「行動の消去」と呼ぶ。声を上げても何も変わらない(無視される)経験が積み重なると、人は発言そのものをやめてしまう。これが、多くの日本企業で「意見が出ない会議」が常態化するメカニズムだ。
実践への活用
ステップ1:現状を4因子で診断する
まず自分のチームを4因子(話しやすさ、助け合い、挑戦、新奇歓迎)で評価する。各因子を10点満点で採点し、最も低い因子から改善に着手する。
ステップ2:「みかえり」を意識的に変える
チームメンバーが発言したとき、意識的にポジティブな反応を返す。「それは面白い視点ですね」「教えてくれてありがとう」——大げさに見えるかもしれないが、行動分析学的にはこの「みかえり」が次の発言を引き出す。
ステップ3:自分から弱さを見せる
リーダーが「自分もわからないことがある」「この判断は間違っていたかもしれない」と率直に認めることで、チームに「完璧でなくていい」というメッセージが伝わる。石井はこれを「リーダーの自己開示」と呼んでいる。
ステップ4:小さな実験を繰り返す
心理的安全性は一朝一夕には構築できない。まずは1on1の場から始め、チーム会議、全体ミーティングへと範囲を広げていく。成功体験を小さく積み重ねることで、チーム全体の行動パターンが徐々に変化する。
関連書籍
- 『恐れのない組織』エイミー・C・エドモンドソン — 心理的安全性の提唱者による原典
- 『チームが機能するとはどういうことか』エイミー・C・エドモンドソン — チーミングの概念を提唱
- 『人を動かす』D・カーネギー — 対人関係の基本原則
- 『マネジメント』P・F・ドラッカー — 組織論の古典
- 『失敗の科学』マシュー・サイド — 失敗から学ぶ組織の条件
まとめ
『心理的安全性のつくりかた』は、バズワード化した「心理的安全性」を、行動分析学という科学的基盤の上に再構築した本だ。
本書の最大の貢献は、心理的安全性を「性格」や「相性」の問題ではなく、「行動」の問題として捉え直したことにある。行動は設計できる。つまり、心理的安全性も設計できる。
「空気を読む」文化の中で、いかにして率直さを取り戻すか。その答えは、スローガンではなく、日々の「みかえり」の積み重ねにある。チームを変えたいと思うなら、まず自分の反応を変えることから始めてみてほしい。