この本について
『Team Geek』(原題: Team Geek: A Software Developer’s Guide to Working Well with Others)は、GoogleとApacheで活躍したBrian W. FitzpatrickとBen Collins-Sussmanの共著だ。2012年の原著発売以来、「エンジニアのためのチームワーク入門」として広く読まれている。
著者の2人は、Apache Subversionの開発者であり、その後Googleに移って大規模チームのマネジメントを経験した。本書には、オープンソースコミュニティの運営とGoogleの組織文化から得られた知見が凝縮されている。
本書の核心はシンプルだ。ソフトウェアの成功は、技術力よりもチーム力で決まる。どれほど優秀なプログラマーでも、一人で完成させられるソフトウェアには限界がある。しかし、チームで働く力は学校でも会社でもほとんど教えられない。本書はその欠落を埋めるために書かれた。
日本語版は約220ページ。短い本だが、エンジニアのキャリアに長く影響を与える内容だ。
こんな人におすすめ
- 技術力はあるがチームでの仕事に苦手意識がある人 - 「人付き合い」を体系的なスキルとして理解できる
- テックリードやエンジニアリングマネージャーになったばかりの人 - リーダーシップの基本原則が凝縮されている
- コードレビューで摩擦が起きがちなチーム - 建設的なフィードバックの方法が学べる
- リモートワークでコミュニケーションに悩んでいるチーム - 信頼構築のための具体的なプラクティスが得られる
- オープンソースプロジェクトに参加したい人 - コミュニティでの振る舞い方と貢献の仕方がわかる
読みどころ
HRT原則——謙虚・尊敬・信頼
本書の土台となるのが「HRT」(ハート)原則だ。
| 原則 | 英語 | 意味 |
|---|---|---|
| 謙虚 | Humility | 自分は全知全能ではない。常に学び、改善する余地がある |
| 尊敬 | Respect | チームメンバーを一人の人間として心から尊重する |
| 信頼 | Trust | 他のメンバーが有能であり、正しいことをすると信じる |
著者たちは言う。チームの問題の99%は、この3つのどれかが欠けていることに起因する。
たとえば「あの人のコードレビューは攻撃的だ」という不満。これは尊敬の欠如だ。「作業を任せられない」という管理者の悩み。これは信頼の欠如だ。「自分のやり方が絶対に正しい」という態度。これは謙虚さの欠如だ。
HRT原則は抽象的に聞こえるが、本書ではきわめて具体的な行動指針に落とし込まれている。
「天才プログラマー」の神話
本書で最も印象的なのは、第1章「天才プログラマーの神話」だ。
多くのプログラマーは、リーナス・トーバルズやジョン・カーマックのような「天才」に憧れる。しかし著者たちは指摘する。Linuxカーネルも、DOOM/Quakeも、天才一人の仕事ではない。リーナスが最初に書いたLinuxカーネルは、彼一人では到底今の規模に育たなかった。成功の鍵は、優秀なチームを引きつけ、維持する力にあった。
隠れて一人でコードを書き続けるのはやめよう。早い段階でフィードバックを求めよう。
この「早期に、頻繁に、フィードバックを得る」という原則は、アジャイル開発やCI/CDの思想と完全に一致する。ソフトウェアだけでなく、コードを書く人間にも「継続的インテグレーション」が必要なのだ。
有害な人への対処法
第4章「有害な人への対処法」は、エンジニアリングチームが避けて通れないテーマを正面から扱う。
著者たちの定義する「有害な人」は、単なる嫌な人ではない。チーム全体の生産性を下げ、メンバーの士気を破壊する行動パターンを持つ人だ。
| 有害なパターン | 具体例 | HRT的対応 |
|---|---|---|
| 完璧主義の押し付け | すべてのPRに大量の修正要求 | 「十分に良い」基準を合意する |
| 情報の独占 | ドキュメントを書かない、質問に答えない | 共有を文化として仕組み化する |
| 非建設的な批判 | 「こんなコード誰が書いた?」 | コードに対して指摘し、人格を攻撃しない |
重要なのは、有害な「人」ではなく有害な「行動」にフォーカスすることだ。同じ人でも、異なる環境では異なる振る舞いをする。リーダーの役割は、有害な行動が自然に減る環境を設計することにある。
リーダーシップ=サーバント
第5章「リーダーシップ」では、エンジニアリングリーダーの役割が再定義される。
著者たちはリーダーシップを「サーバントリーダーシップ」として捉える。リーダーの仕事は指示を出すことではなく、チームが最高の仕事をできるように障害を取り除くことだ。
具体的には:
- チームメンバーのキャリア成長を支援する
- 技術的な意思決定をチームに委ねる
- ビジョンを示し、方向性を合わせる
- 外部からの不合理な要求を防波堤として受け止める
この考え方は、2026年のAI協働時代にも有効だ。AIツールがコードを書く時代に、エンジニアリングリーダーの価値は「コードを書く能力」から「チームとAIが協働する環境を設計する能力」へとシフトしている。
実践への活用
- コードレビューのルール見直し - レビューコメントにHRT原則を適用する。「ここ間違ってる」ではなく「この部分、〜の理由で〜に変えるとよさそうです」
- 1on1の導入 - チームメンバーとの定期的な1on1で、技術的な課題だけでなく「チームで働く上での困りごと」を聞く
- 早期共有の習慣化 - 完成してからコードを見せるのではなく、WIP(Work In Progress)段階でPRを出し、方向性のフィードバックを得る
関連書籍
- 『エンジニアのためのマネジメントキャリアパス』Camille Fournier - テックリード→マネージャーのキャリアパスを詳述
- 『心理的安全性のつくりかた』石井遼介 - HRT原則と通じる「安全な場」の作り方
- 『Clean Code』Robert C. Martin - 技術面のクリーンさについてはこちら
- 『アジャイルサムライ』Jonathan Rasmusson - チーム開発のプラクティスをより具体的に
まとめ
『Team Geek』は、技術書でありながら「人間の本」だ。コードの書き方ではなく、コードを書く人間同士がどう協力するかを教えてくれる。
HRT原則——謙虚・尊敬・信頼——は単純だが、実践は難しい。締め切りに追われているとき、バグの原因を探しているとき、レビューで指摘を受けたとき。ストレスがかかる場面ほど、HRTは試される。
しかしだからこそ、この本を手元に置いておく価値がある。チームが機能しなくなったとき、この本を開けば、たいてい問題の本質が3つの原則のどこかにあることに気づく。220ページで読めるが、その教えは何年も使い続けられる。