この5冊について
Webサイトのフォントを「Noto Sans JPでいいか」と選ぶ。プレゼン資料を「メイリオなら無難だろう」で済ませる。誰もが経験のあるこの「なんとなく」の背後には、実は深い世界が広がっている。
タイポグラフィ——文字の配置と書体の技術——は、デザインのもっとも基礎的な要素でありながら、体系的に学ぶ機会が少ない分野だ。
本記事では、入門からリファレンスまで5段階のタイポグラフィ書籍を紹介する。
| レベル | 書籍 | 用途 |
|---|---|---|
| 導入 | となりのヘルベチカ | マンガで楽しく入門 |
| 入門 | タイポグラフィの基本ルール | 基礎知識を体系的に |
| 欧文 | 欧文書体 その背景と使い方 | 欧文書体の選び方 |
| 和文 | 文字をつくる9人の書体デザイナー | 和文書体の開発ストーリー |
| 実務 | タイポグラフィ・ハンドブック | 組版ルールのリファレンス |
『となりのヘルベチカ』芦谷國一
欧文書体を擬人化したマンガ。Helveticaは几帳面な優等生、Garamondは歴史ある名家のお嬢様、Futuraは理想主義の建築家——書体の「性格」をキャラクターで理解できる。
読みどころ: 「なぜHelveticaは看板に使われるのか」「なぜTimes New Romanは論文に使われるのか」——書体の用途と性格の関係がマンガの物語を通じて自然に理解できる。タイポグラフィの専門用語(セリフ、サンセリフ、x-height、カウンター)も物語の中で説明されるため、最初の一冊として最適。
『タイポグラフィの基本ルール』大崎善治
タイポグラフィの基本を体系的に解説した入門書。フォント選び、文字組み、行間、字間——デザイナーが知るべき基礎ルールが網羅されている。
読みどころ:
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フォント選びの基準: 本文にはセリフ体(明朝体)、見出しにはサンセリフ体(ゴシック体)——この「常識」がなぜ成り立つのか、可読性の科学的根拠から説明される
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行間の黄金比: 本文の行間は文字サイズの50-75%が適切。広すぎると読みにくく、狭すぎると圧迫感がある。CSSの
line-height: 1.5〜1.75に直結する知識だ -
ジャンプ率: 見出しと本文のサイズ比(ジャンプ率)が高いほどダイナミックに、低いほど上品に見える。Webデザインのタイポグラフィスケール設計に応用できる
『欧文書体 その背景と使い方』小林章
Monotype社のタイプディレクター小林章が、欧文書体の歴史と選び方を語る。
小林章は、Hermann ZapfやAdrian Frutigerといった巨匠と共同で書体をリデザインした、日本が誇るタイプデザイナーだ。
読みどころ:
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Helvetica vs Arial: 「似ているけど違う」2つの書体の歴史的背景と微妙な造形の差。Microsoftがなぜ独自のArialを作ったのか
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セリフ体の系譜: Garamond→Caslon→Baskerville→Bodoni。ルネサンスから産業革命まで、書体の進化は印刷技術の進化と対応している
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Frutigerの革新: 空港の案内板のために設計されたFrutiger。遠くからでも読みやすい書体設計の原則は、Webの可読性設計にも通じる
『文字をつくる9人の書体デザイナー』雪朱里
日本を代表する9人の書体デザイナーへの取材を通じて、和文書体の設計思想に迫るドキュメンタリー的な一冊。
読みどころ:
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ヒラギノの設計思想: macOSの標準フォント・ヒラギノを手がけた字游工房の鳥海修。1万字以上をどのような基準で設計したのか、その哲学が語られる
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9人の多様な哲学: 小林章(Monotype)、小塚昌彦(小塚書体)、杉本幸治、西塚涼子ら、異なるバックグラウンドを持つデザイナーたちの書体づくりへの姿勢が浮き彫りになる
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和文書体の特殊性: 欧文はアルファベット約100字で書体が成り立つが、和文は仮名・漢字を合わせて1万字以上を設計する必要がある。この物量が和文タイポグラフィの難しさであり、深さでもある
『タイポグラフィ・ハンドブック 第2版』小泉均
組版の実務ルールを網羅したリファレンス。通読する本ではなく、必要なときに引く辞書として価値がある。
読みどころ:
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和欧混植のルール: 日本語の文章に英単語が混ざるとき、フォントサイズ、ベースライン、前後のスペースをどう設定すべきか。CSS
font-feature-settingsの実装根拠となる知識 -
禁則処理: 行頭に「。」「、」が来てはいけない(行頭禁則)。行末に「(」「「」が来てはいけない(行末禁則)。ブラウザの組版エンジンが自動処理するが、そのルールを知っていると異常に気づける
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約物のスペーシング: 全角カッコや句読点の前後に生じる余白の調整方法
タイポグラフィとWeb/UI
「紙の話でしょ?」と思うかもしれない。しかし2026年のWebは、かつてないほどタイポグラフィの知識を必要としている。
- Variable Fonts: 一つのフォントファイルで太さ・幅を自在に変えられるVariable Fontsの普及で、微妙なウェイト調整が可能に
- CSSの進化:
text-wrap: balance、font-optical-sizing、hanging-punctuation——CSSのタイポグラフィ関連プロパティが急速に充実 - 多言語対応: グローバルなWebサービスでは、和欧混植の知識に加え、アラビア語(右から左)、中国語(簡体字/繁体字)への対応も求められる
関連書籍
- 『Webタイポグラフィ』リチャード・ルッター - Web特化のタイポグラフィ実践書
- 『ノンデザイナーズ・デザインブック 第4版』 - デザインの4原則をコンパクトに学べる
- 『デザインのデザイン』原研哉 - デザインの思想を深める
まとめ
タイポグラフィは「気づかれないことが最高の仕事」と言われる。読みやすい文章を読んでいるとき、読者は文字の配置やフォント選びに意識を向けない。しかしその「気づかれなさ」を実現するには、深い知識と技術が必要だ。
5冊すべてを読む必要はない。まず『となりのヘルベチカ』で興味を持ち、『基本ルール』で体系を掴み、必要に応じて欧文/和文の専門書に進む。文字を意識して見る目が養われると、Webサイトも書籍も看板も、これまでとは違って見えてくる。