ステアリングは嘘をつかない — フォースフィードバックの本質を探る
ダイレクトドライブのホイールベースを選ぶとき、誰もが最初にスペック表を開く。Nm(ニュートンメートル)、エンコーダービット数、最大電流、ファームウェアの更新頻度。数値が大きいほど良い——そう思いがちだ。しかし、同じトルク帯のFanatecとMOZAを実際に握った人は口を揃えて言う。「同じなのに、違う」と。
その「違い」はどこから来るのか。今日は少し踏み込んだ場所を探る。
パート1: スペック表で全て分かる?
L-yard 編集室の休憩室。シムレーシング機材の前にて
(FanatecとMOZAのスペック表をモニターに並べながら) ねえイロハ、FanatecのCSL DD 8NmとMOZA R9 V3の9Nm、価格差が2万円あるのに「感触が違う」ってよく言うじゃん。でもスペック表見る限り、エンコーダーも20bit対21bitで誤差の範囲だし、Nmも近い。これ選ぶ基準、コンソール対応とコスパだけでよくない?
あら、ハクアちゃんらしいですわ。
え、それ馬鹿にしてる?
まさか。ただ、「スペック表で全て分かる」という前提が正しいかどうか、確かめてみましょうか。
……どういう意味?
(眼鏡をクイッと上げて) ハクアちゃん、プログラミング言語を選ぶとき、実行速度のベンチマークだけで決めますか?
……いや、エコシステムとか、書き心地とか、コミュニティとか。あ。
お分かりになりましたか?
基本的な仕組みから整理しよう。ダイレクトドライブ(DD)ホイールベースの核心は、サーボモーターだ。ギアやベルトを一切介さず、モーターの力をそのままステアリングシャフトに伝える。「ダイレクト」の名の通り、路面からの情報が何も遮られずに手に届く構造だ。
FFBの「粒度」を決める要素は主に二つ。まずエンコーダー解像度。21bitエンコーダーは1回転を約210万点(2,097,152点)に分割する。これが高いほど、ステアリングの微細な動きをモーターが正確に検出できる。次にFFBアルゴリズム。ゲームのテレメトリデータ(タイヤのスリップ角、路面の凹凸、縁石の振動)をどう力覚に変換するか——その「翻訳ロジック」だ。
| メーカー | アルゴリズム | 特徴 |
|---|---|---|
| Fanatec | FullForce(DirectInput + ゲームAPI連動) | タイトル固有の路面データをモーターに反映。重厚で実車に近い感触 |
| MOZA | NexGen 4.0(カメラジンバル由来の精密制御) | スムーズで繊細なフィードバック。ファームウェア更新で継続進化 |
同じNm帯でも、この翻訳方式の違いが「感触の差」を生む。
パート2: 力覚の設計哲学
なるほど。アルゴリズムが違うから感触が違う——それはそうか。でも最終的には技術が追いついて「同じ」になるんじゃないの?
追いついたとして、「同じ」になると思いますか?
……なんで?
Fanatecはドイツのメーカーです。長年、実車のステアリング感覚を再現することを目標にしてきた。「本物の重さ」へのこだわりが、設計の根底にある哲学なんですわ。MOZAはカメラジンバルの精密モーター制御技術が出発点。繊細で素直な反応を追求する——それが彼らの美学です。
…技術の差じゃなくて、思想の差か。
そうですわ。どちらが「正解」ではありません。RustとGoが、それぞれ「メモリ安全性」と「シンプルさ」を第一にしているのと同じように。
うわ、それ分かりやすい。(エナドリをグイッと飲んで) じゃあ「自分がどちらの哲学と合うか」で選ぶ、ってことになるじゃん。結局、実際に握ってみないと分からないよね。
その通りですわ。スペック表は「入場チケット」に過ぎません。本当の選択は、握った瞬間に始まる。
……コードの「書き心地」に似てるな。ベンチマークで測れない部分が結局大事だったりする。
ふふ、素直でよろしい。
褒められてるのか馬鹿にされてるのか分からないけど……合ってる気がするから許す。
ここで重要な補足がある。10Nm以上のハイトルク域になると、設計哲学の差がより鮮明に現れる。FanatecのClubSport DD+(15Nm)やPodium DD(25Nm)は「実車の操舵力」を明確なリファレンスとして持つ。コーナリングで手応えが増し、タイヤが仕事をしているかどうかが直感的に分かりやすい。一方、MOZAのR21 Ultra(21Nm)やR25 Ultra(25Nm)は、テレメトリ解析の精度と応答速度を前面に出す。「路面の変化を逐一報告する」繊細さが持ち味だ。
どちらも「正しい」が、乗り手の走り方によって相性が分かれる。
パート3: ステアリングは嘘をつかない
じゃあ実際に体験しないと分からないってことじゃん。そういえばこの編集室の機材、誰が使ってるの? ボクは自分のリグがあるからここの使ったことなかったんだけど。
(静かに立ち上がり、シムレーシング機材に近づく) わたくしが、ね。
え? イロハが? シムレーシングやるの?
少し。(ヘルメットを手に取りながら) Nürburgring Nordschleifeを走ってきますわ。5分ほどお待ちを。
え、ちょ——
数分後。ハクアは画面に映るラップタイムを二度見した。
……待って。4分52秒って。ボクより20秒以上速いじゃん。
(グローブを外しながら、手をほぐして) まだ本調子ではないですけれど。先月の湿布が少し残っていて。
は!? 湿布って何?
10Nmのステアリング、長時間格闘すると手首に来ますの。(クスリと笑う) これも「身体性の回復」の代償というやつですわ。
……なんで今まで言わなかったの。
(眼鏡の位置を直して) ハクアちゃんは「スペック表と数値で全て分かる」と思っていたでしょう? そういう人に話しても伝わらないから。
うっ……。(少し間を置いて) ……じゃあ、さっきのラップで何を感じた? 路面とか、タイヤとか。
ふふ、良い質問ですわ。
イロハはステアリングを静かに撫でた。
第3コーナーの出口で、左タイヤが少しだけ鳴きました。ステアリングが「もうこれ以上はだめです」と言うんです。数値としてではなく——手のひらが先に知る。それがFFBの本質ですわ。
……手のひらが、先に知る。
テレメトリのグラフより0.3秒早く、乗り手の神経系に届く。それを可能にするのが、設計者の意図がこもったFFBです。ステアリングは嘘をつきません。路面の状態も、タイヤの限界も——全てを正直に、手に届ける。
(長い沈黙の後) ……スペック表ってさ。その「対話」を邪魔しないための「基盤」なんだな、と。エンコーダーが高解像度でアルゴリズムが良いのは必要条件であって、「対話の質」そのものじゃない。
……今日一番の発言ですわ。素直でよろしい。
(エナドリを手に取りながら) ……でもなんでそんなに速いの? 普通にやばいんだけど。
(笑い声) それはまた別の話です。
FFBは「翻訳者」である
フォースフィードバックは「数値」ではなく「翻訳の精度と哲学」だ。エンコーダー解像度とアルゴリズムは、路面の声を手に届けるための「解像度」と「語彙」を決める。しかし翻訳に込められた「何を伝えたいか」という設計者の意図が、最終的な感触を形作る。
FanatecとMOZAの差は、工学文化の差であり、「実車の重さを再現する」か「テレメトリの繊細さを届ける」かという哲学の違いでもある。どちらが「勝ち」ではない。どちらの哲学が自分の走り方と共鳴するか——それを知るためには、握るしかない。
シムレーシングが「身体性の回復」と呼ばれる所以が、ここにある。デジタルの世界で、ステアリングという物理インターフェースを通じて、乗り手は路面と対話する。その対話の質を、FFBは決定する。ステアリングは、嘘をつかない。
各モデルの具体的なスペック・価格・コンソール対応を知りたい方へ: Fanatec vs MOZA 徹底比較 2026で詳しく解説しています。
イロハの本棚
身体とテクノロジーの対話、力覚の設計に興味が湧いた方へ。
関連書籍
- 『走る哲学』 為末大(サンマーク出版) — 元世界陸上銅メダリストによる身体論。「速さとは何か」の問いが、シムレーシングのFFB論と交差する
- 『自在化身体論 — 「できる」を増やす体のデザイン』 稲見昌彦(NTT出版) — 身体拡張とハプティクス(触覚フィードバック)の研究者による一冊。DDホイールを「拡張された神経系」として読み解くヒントがある
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