戦う配色 — リバリーの色彩心理学
色で、速くなれるのか。
前回、イロハのシムレーシング機材に驚いたハクアだが、もう一つ忘れられないものがあった。あの深紅と金のリバリー。「美学は勝つための機能」——イロハのその言葉が、ずっと引っかかている。
今日はその真意を、本人に問いただすことにした。
ナショナルカラーの時代
L-yard 編集室。イロハがモニターにレーシングカーのリバリーを映している
ねえイロハ。この前のリバリーの話、もっと聞きたいんだけど。なんで赤と金にしたの?
その前に、レースカーの色の歴史を知る必要がありますよ。ハクアちゃん、フェラーリはなぜ赤いか知っていますか?
えーと……イタリアだから?
半分正解です。20世紀初頭のグランプリレースでは、ナショナルカラーという制度がありました。国ごとに色が決められていたのです。
イロハがモニターに一覧を表示する。
イタリアは赤(ロッソ・コルサ)。イギリスは緑(ブリティッシュ・レーシング・グリーン)。フランスは青(ブルー・ド・フランス)。ドイツは白——のちにシルバーになります。
へえ。てことは、フェラーリの赤ってブランドカラーじゃなくて、国の色だったの?
そうです。しかし1968年にスポンサーカラーが解禁されると、ナショナルカラーは消えていきました。マシンは企業のロゴと色で埋め尽くされるようになった。ところがフェラーリだけは——
赤のままなんだ。
ええ。赤はもはやイタリアの色ではなく、フェラーリそのものになったのです。色がアイデンティティに昇華した稀有な例ですよ。
赤は本当に速いのか
でもさ、色で速さって変わるの? 物理的にはペイントの重さくらいしか影響なくない?
(ふふ、と微笑んで) 物理的にはその通りです。しかし心理的には、色は速さに影響します。
イロハが色彩心理学の研究を引用しながら説明する。
2005年のダーラム大学の研究で、スポーツにおける赤いユニフォームの優位性が報告されています。ボクシング、レスリング、テコンドーのオリンピック競技で、赤いコーナーの選手は青いコーナーより有意に勝率が高かった。
……え、それ色の問題なの? 強い選手が赤を選んだだけじゃなくて?
ランダムに割り当てた場合でも差が出ています。仮説は二つ。一つは、赤が着用者のテストステロンを上げ、攻撃性を高めること。もう一つは、対戦相手に無意識の萎縮を与えること。
つまり、赤は着る側にも見る側にも効くってこと?
そういうことです。レースの文脈で言えば、バックミラーに赤いマシンが映ったとき、ドライバーは無意識にプレッシャーを感じる可能性がある。
イロハのリバリー設計論
じゃあ、イロハのリバリーが深紅と金なのは——
(モニターに自分のリバリーを映して) 解説しましょう。わたしのリバリーは三つの原則で設計しています。
イロハが指を立てる。
第一原則。「前方視認性」。前方から見たとき、暖色系は寒色系より視覚的に「近く」感じます。赤いマシンは実際の距離より近くに見える。これは後続車のドライバーに「もう追いついている」という錯覚を与え、ブレーキングポイントを早めさせる効果があります。
心理的なブレーキ……。
第二原則。「側面の体格効果」。側面には深紅と金の対比を使い、明度差を大きくしています。明度差が大きいと物体は大きく見える。つまり、横を並走するとき、わたしのマシンは実際より大きく感じられるのです。
横に来ると威圧される設計ってこと……。
第三原則。「後方の無彩色」。リアウイング周辺はダークグレーに近い色にしています。これは追い抜こうとするドライバーの視線を「吸い込む」効果があります。暗い色は距離感を曖昧にしますから。
……なにそれ怖い。リバリーが戦術兵器になってる。
「美学は勝つための機能」ですよ。
印象派とリバリー
……ちょっと待って。前方が暖色、横が対比、後方が暗色って——それ、シュヴルールの同時対比と同じ原理じゃない?
(目を見開いて) ……ハクアちゃん。貴方、印象派の記事を読みましたね?
えへへ。補色を隣り合わせると鮮やかさが増すってやつでしょ。赤と緑が引き立て合うみたいに。
(珍しく嬉しそうに) そのとおりです。実はリバリーデザインと印象派の理論は深くつながっているのですよ。
イロハが語る。
モネが影に紫を使ったのは、補色対比で光の黄色を引き立てるためでした。リバリーでも同じです。深紅と金は補色に近い関係にあり、並べることで互いの鮮やかさが最大化される。レースでは視認性は速度に直結する情報です。目立つマシンは、他車に自分の位置を正確に伝え、不要な接触を減らします。
美しさと安全性が同じ原理で成り立ってるんだ。
色彩の法則は普遍的ですからね。キャンバスの上でもサーキットの上でも、光と色の物理は変わりません。
白いマシンの意味
(自分のマシンを見て) ……ボクの白いマシン、もしかして最弱?
いいえ。白にも戦略があります。
え?
白は最も明るい色です。つまり、どんな光の条件でも視認性が最も高い。夕暮れ、雨天、トンネルの出口——環境が変わっても、白いマシンは常に見える。
環境適応型ってこと?
そうです。さらに白は「無属性」の色。心理的圧迫を与えない代わりに、相手に情報を与えない。何を考えているかわからない不気味さがある。
……それはそれで怖くない?
ふふ。ポーカーフェイスの色ですよ。ただし——
イロハがハクアのモニターに手を伸ばす。
ここに一本、ティールのラインを入れなさい。L-yardのブランドカラーです。白に一本のアクセントカラーは、視覚的な記憶に残りやすい。
……もしかして、ボクのマシンもデザインするつもり?
(眼鏡をクイッと上げて) わたしに任せなさい。
色は、塗料ではない。情報であり、心理であり、戦略だ。
ナショナルカラーの時代から、スポンサーカラーの時代へ。しかし色の持つ力——視認性、威圧感、アイデンティティ——は変わらない。イロハのリバリーが教えてくれるのは、美学が機能になる瞬間は、想像以上に多いということだ。
次にレースゲームを起動するとき、マシンの色を選ぶ画面で少しだけ立ち止まってほしい。その色は、あなたの武器になるかもしれない。
イロハの本棚
この記事で触れた書籍と、さらに深く知りたい人への推薦図書。
メイン書籍
『色彩心理学入門』 日本色彩学会(東京大学出版会、2001年)
イロハの一言: 「色が人間の心理と行動に与える影響を体系的にまとめた教科書です。リバリーだけでなく、日常のあらゆる配色に応用できますよ」
関連書籍
- 『モータースポーツのテクノロジー 2024-2025』 三栄 — レースの技術トレンド全般を俯瞰
- 『色彩の博物事典』 城一夫 — 色の文化史と科学。印象派の記事でも参照